2025年の春から放送されるNHKの連続テレビ小説が決まりました。
タイトルは「あんぱん」
漫画「アンパンマン」の作者
やなせたかしさんと妻・暢さんがモデルです。
公式:NHK2025年度前期 連続テレビ小説は「愛と勇気の物語」
ヒロインはオーディションの結果、今田美桜さんに決定しました!
朝ドラ史上最多の3,365人が応募という大激戦。
最終オーディションではスタッフも涙したという今田さんの演技で、「満場一致」で決定したとのことです。
関連:ヒロインは今田美桜さん!プロフィールやこれまでの代表作
選考にあたって、なぎなたを振り回して歌うテストもあったようです。
どんだけお転婆なヒロインなんでしょう!
なぎなたを振り回しながら『手の平を太陽に』を歌ったり、セリフだけでなく運動神経も見ています。(あんぱん制作統括・倉崎憲さんのインタビューより)
高知新聞2023年12月1日付
朝ドラ「あんぱん」
モデル・やなせたかしさんと暢さんは、高知新聞社に勤めていました。
朝ドラに高知が取り上げられるのは、1988年の「ノンちゃんの夢」、2023年の「らんまん」についで3回めです。
ヒロイン
ヒロインは朝田のぶ
のちに漫画家柳井嵩(やない・たかし)の妻となる女性です。
気弱で自信がない夫を持ち前の行動力で励まし続ける妻。
対照的な2人がいつ出会って惹かれあったのか?
不朽の名作「アンパンマン」はどのようにして誕生したのか?
2人の人生が描かれます。
キャスト
ヒロインの朝田のぶ役は、女優の今田美桜さん。
お相手・やないたかし役は、北村拓海さんに決定しました。(2024年4月26日)
そのほかの俳優、キャストはまだ発表されていません。
漫画家さん達の役に、どんな方々が登場するのか楽しみですね。
ストーリー
物語の概要が発表されました。
昭和のはじめごろ、高知の町中をものすごい勢いで走る少女がいました。「ハチキンおのぶ」こと、朝田のぶです。
NHK2025年度前期 連続テレビ小説は「愛と勇気の物語」
一方、幼いときに父を病気で亡くした柳井 嵩は、叔父の家に引き取られ、そこでのぶに出会います。二人を結びつけたのは、一個のあんぱんでした。
戦争の足音が近づくころ、女学校に通っていたのぶは周りと同様に、妄信的な軍国少女になっていました。やがて戦争が始まり、嵩は出征。嵩は弟・千尋を戦争で亡くし、のぶも最愛の人を亡くしました。女学校を卒業し、のぶは戦争で全ての価値観が変わり、「何が正しいかは自分で見極めなければならない」と新聞社に女性初の記者として就職。戦後、クズ拾いの仕事を辞めた嵩が新聞社に入社してきて、二人は同じ雑誌の担当に。嵩は東京で漫画家を目指したい気持ちがありつつも、生活していけるか不安でした。のぶはそんな嵩に「あなたもあとから来なさいよ。先に東京に行って待ってるわ」と告げ、新聞社を辞め上京。のぶを追いかけ上京した嵩と、六畳一間のオンボロアパートでの生活が始まります。お風呂はなく、トイレは共同。トイレの天井には穴があき、雨の日は傘をさして入らなければいけないが、晴れた夜には星が見える。そんな暮らしをおもしろがり、「どんな環境でも楽しめるこの人と一緒にいたい」と二人は結婚。『手のひらを太陽に』『アンパンマン』が世に出るのは、まだまだ先のことです──
柳井嵩(やない・たかし)は、幼い時に父を亡くし伯父の家に引き取られます。
いっぽう朝田のぶは、男の子よりも足の速い、いわゆる「はちきん」と言われる男勝りの女の子です。
2人を結びつけたのは、一個のあんぱんでした。
戦争がはじまり嵩は出征。
上海で終戦を迎え郷里の高知に戻る嵩ですが、弟を戦争で亡くします。
のぶも大事な人を亡くしました。
やがて2人は地元の高知新聞社の雑誌編集部に勤め始めます。
漫画家になりたい嵩をしり目にさっさと職を辞め、上京するのぶ。
のぶを追いかけるように嵩も上京します。
2人は一緒に住み、やがて結婚。
貧しい暮らしのなか、自信や生きる意味を見失いそうになる嵩ですが、行動力と好奇心にあふれた妻に励まされ、逆境や失敗を乗り越えていきます。
苦労のすえ、「アンパンマン」を世に出します。
時代背景
朝ドラ「あんぱん」で描かれる時代は、戦前から戦後の激動の時代です。
やなせたかしさんと暢さんがモデルですが、オリジナルの物語として2人の人生を大胆に再構成するとされています。
脚本
脚本は、中園ミホさん。
中園さんは、連続テレビ小説「花子とアン」や、大河ドラマ「西郷どん」などを手がけました。
制作にあたり、中園さんは次のようにコメントされました。
「ハチキンおのぶ」「韋駄天おのぶ」こと、小松 暢さんをモデルにした朝田のぶがこのドラマのヒロインです。(中略)
暢さんが生涯のパートナーとして選んだ男性は、漫画家で詩人の柳瀬 嵩(やなせたかし)さん。彼ははっきり言って遅咲きの人です。日本中の子どもたちの間でアンパンマンが大人気となり、漫画家として世間に認められたのは、なんと70歳になってからでした。(中略)
暢さんは持ち前の行動力と飽くなき好奇心で、さまざまな職場を渡り歩き、手塚治虫、赤塚不二夫、いずみたく、向田邦子、青島幸男……などなど、才能豊かで個性的な人たちと出逢い、関わり合いながら、ちょっと気が弱くて自信のないやなせさんを励まし続けます。
やなせさんの才能がいつか必ず開花することを信じていたパートナーの存在がなかったら、アンパンマンがこの世に誕生することもなかったかもしれません。
『正義は逆転することがある。じゃあ、逆転しない正義とは何か?
NHK2025年度前期 連続テレビ小説は「愛と勇気の物語」
飢えて死にそうな人がいれば、一切れのパンをあげることだ』。
これはアンパンマンの神髄であり、2人が逆境や失敗をいくつも乗り越えて、つかんだ人生のテーマです。戦後80年にあたる2025年、2人のお話を書かせていただけることに、今、私は幼い頃のように胸を高鳴らせています。ドキンドキンとー
(後略)
やなせたかしさんと暢さんはどんな人?
実在の人物である、小松暢さん(1918年~1993年)とやなせたかしさん(1919年~2013年)は、どんな人だったのでしょう?
やなせさんから見た暢さん
やなせさんより、1歳年上の暢さん。
大阪府出身で、1946年に高知新聞社に採用されます。
遅れて就社したやなせさんと「月刊高知」編集室で机を並べます。
「ジープに飛び乗って焼け跡の街を走り回る、土佐の方言でいえば『ハチキン』というおてんばの性格」「(自分と)反対の性格、アグレッシヴ(積極的)、きっちりとしていて努力家」とやなせさんは暢さんのことを評されています。
ちなみに「ハチキン」とは、男が2つ持っているものを4人分持っているかのように、活動的で元気な女性のことを指します。
真逆な性格でありながらも、お互いを尊敬し助け合う、とても素敵なご夫婦だったのですね。
アンパンマンには、ドキンちゃんという元気な女の子が登場します。
敵役なのに、あっけらかんとしてどこか憎めないキャラクターです。
じつはドキンちゃんのモデルは、妻の暢さんであったそうです。
活動的で大らかな素敵な女性だったのでしょう。
やなせたかしさんの年表
幼年時代から終戦まで
- 1919年
(0歳)現在の東京都北区で生まれる本名 柳瀬 嵩(やなせ たかし)
- 1921年
(2歳)弟・千尋が生まれる - 1924年
(5歳)父・清が中国で亡くなる父親の故郷・高知へ移住
- 1926年
(7歳)母が再婚
伯父の家に引き取られる - 1937年
(18歳)東京都高等工芸学校図案科に入学 - 1940年
(21歳)製薬会社 宣伝部に入社 - 1941年
(22歳)徴兵され軍隊に入隊 - 1945年
(26歳)中国上海の近くで終戦を迎える弟・千尋の戦死を知る
やなせさんの父は高知県香美市の出身です。
上海の東亜同文書院を卒業後に、講談社や朝日新聞社につとめる優秀な人だったようです。
しかし転勤で異動した中国のアモイで亡くなります。
幼いころに父を亡くし、一家は縁故を頼り高知へ移住します。
母の再婚後、やなせさんは開業医をしていた叔父に引き取られました。
戦後から漫画家となるまで
- 1946年
(27歳)高知新聞社に入社
小松 暢と出会う - 1947年
(28歳)新聞社を退社
上京しデパートの宣伝部に入社 - 1948年
(29歳)小松 暢と結婚 - 1953年
(34歳)デパートを退社
漫画家となる
終戦を上海で迎え、高知へ戻ったやなせさんは友人とクズ拾いの仕事をします。
そして高知新聞社に入社。
配属先は、創刊されたばかりの雑誌「月刊高知」の編集室でした。
空襲で焼け残った当時の本社ビル3階にあり、ベニヤ板で囲っただけの「お粗末なスペース」だったそうです。
5人の小さな職場で、やなせさんの向かいに座っていたのが1歳上の暢さんでした。
高知新聞が初めて採用した女性記者2人のうちの1人です。
速記の名手で色白の快活な美少女タイプの暢さんに、やなせさんが一目ぼれします。
2人は雑誌の仕事で表紙や漫画を描いたり、取材や座談会の司会と多忙な中、しだいに仲を深めていきます。
先に退社して上京した暢さんを追って、やなせさんも上京します。
2人は結婚し、やなせさんは漫画家を志します。
妻の暢さんに先立たれるまで
- 1966年
(47歳)詩集『愛する歌』を刊行 - 1967年
(48歳)ラジオドラマ『やさしいライオン』放送 - 1973年
(54歳)雑誌『詩とメルヘン』創刊
月刊絵本『キンダーおはなしえほん』に「あんぱんまん」を発表 - 1988年
(69歳)アニメ「それいけ!アンパンマン」放送開始 - 1993年
(74歳)妻・暢亡くなる
漫画「アンパンマン」が世間に広く認められたのは、やなせさんが70歳を過ぎてからです。
暢さんは、夫の仕事が恵まれない時期も「何とかなるわ。私が働いて食べさせてあげる」「あなたは普通の人とちょっと違うところがある」
「必ずいつか認められます」と夫を励まし続けたそうです。
晩年
- 1996年
(77歳)高知県に香美市立やなせたかし記念館「アンパンマンミュージアム」開館 - 2000年日本漫画家協会理事長に就任
- 2007年
(88歳)「横浜アンパンマンこどもミュージアム&モール」開館 - 2013年94歳で永眠
アニメ『それいけ!アンパンマン』がヒットし、出身地の高知県に香美市立やなせたかし記念館「アンパンマンミュージアム」が開館します。
同記念館内には「詩とメルヘン絵本館」も併設されています。
自然豊かな環境にたたずむ施設は、小さな子どもから大人まで心静かにやなせさんの作品を鑑賞することのできる施設です。
私の中のやなせたかしさんのイメージは、テンガロンハットを被ったちょっと変わったおじさんです。
晩年は、自分のことを「老いドル」(老人のアイドル)と呼んで、「画家ならば行動や言動も漫画的に面白くなければならない」とテンガロンハットにサングラス、カウボーイブーツという独特なファッションで公式の場にも参加されていました。
ひょろっとした風格に、はにかんだような温和な笑顔。
ユニークな表現をしながら、漫画界を支えるために精力的に仕事をされるやなせさん。
高知で行われていた「まんが甲子園」には立ち上げ時からかかわり審査委員長を務めていました。
じつは2005年(平成17年)、財政難のため入賞校へ贈る賞金の半減を打ち出した高知県に、総額200万円の資金提供を申し出されたのは、やなせたかしさんでした
晩年は心臓病やガンなど体調を崩すことも多く、自分の生前葬まで企画したこともあります。
東日本大震災が起こったため生前葬は取りやめましたが、被災地への支援を続け、94歳で永眠されました。
最後の最後まで、優しく真面目な生涯でした。
まとめ
2025年春から放送される朝ドラ「あんぱん」
モデルは漫画家のやなせたかしさんと妻・暢さん
国民的キャラクター「アンパンマン」は、心優しき漫画家・やなせたかしさんと、妻の暢さんの支えがあって世に出ることができました。
戦後80年の大きな節目を迎える2025年。
正義とは?愛とは?そして平和とはなにかを考える、素晴らしい作品になるとても楽しみなドラマです。
余談ですが、ドラマのタイトルに「ん」がつくとヒットするとか…
「らんまん」
「あんぱん」
そのあとに..
「ジョン万」と高知県出身の偉人が続いてくれたらいいなぁ..
高知県大好きな私は密かに願っています。
朝ドラ「あんぱん」楽しみですね!