朝ドラ「虎に翼」の猪爪寅子のモデルは三淵嘉子(みぶち よしこ)さんです。
戦中戦後の混乱を生き抜き、日本初の弁護士、判事、裁判長、家庭裁判所長を歴任した三淵嘉子さんはどんな人だったのでしょうか?
プロフィールや結婚歴を調べてみました。
プロフィール
- 1914年
(大正3)父・武藤貞雄 母・ノブの長女として
シンガポールで生まれる(父は台湾銀行勤務)
- 東京女子高等師範学校附属高等女学校を卒業
明治大学専門部女子部法科に入学 - 1935年明治大学法学部に入学
- 1938年高等試験司法科試験に合格
- 1940年第二東京弁護士会に弁護士登録
中田正子、久米愛とともに日本初の女性弁護士となる
太平洋戦争が始まる
- 1941年武藤家の書生をしていた和田芳夫と結婚
- 芳夫が召集先の中国で発病
- 1945年太平洋戦争が終わる
- 1946年芳夫が長崎の陸軍病院で戦病死
- 1947年裁判官採用願いを司法省に提出
- 初代の家庭局局付に就任
- 1949年東京地裁判事補となる
- 1952年名古屋地方裁判所で初の女性判事となる
- 1956年裁判官の三淵乾太郎と再婚
(乾太郎は初代最高裁長官だった三淵忠彦の子)
- ラベル東京地裁判事となる
- 原爆の責任を訴えた「原爆裁判」を担当
- 1963年日本の裁判所で初めて「原爆投下は国際法違反」と明言
- 東京家庭裁判所判事(1963~1972)
5,000人を超える少年少女の審判を担当 - 1972年新潟家庭裁判所長を任命
女性として初の家庭裁判所長となる - 1979年退官
- 1980年再び弁護士となる
日本婦人法律家協会の会長
労働省男女平等問題専門家会議の座長を務める - 1984年骨肉腫のため死去(69歳)
父は武藤貞雄さん、母はノブさん。
台湾銀行に勤務していた父は、シンガポールやニューヨーク支店にも在職していたエリート銀行員です。
嘉子さんは武藤家の長女としてシンガポールで生まれます。
下には弟が4人います。
東京女子高等師範学校附属高等女学校を卒業したあと、進歩的な考えの父のすすめで明治大学専門部女子部法科に入学しました。
おおらかで明るく優しく、それでいて知性のある嘉子は人気者だったそうです。
1935年には明治大学法学部に入学し、司法試験に合格します。
同じく明治大学同窓の中田正子さん、久米愛さんと日本初の女性弁護士となりました。
2度の結婚
最初の結婚は1941年、武藤家の書生をしていた和田芳夫さんとの結婚でした。
ところが、夫の芳夫さんは召集先の中国で発病します。
帰国するものの、終戦後の翌年1946年に長崎の陸軍病院で亡くなります。
とてもつらい経験です。
嘉子さんは幼い子どもを連れて福島へ疎開、その後川崎市に移り住みます。
二度目の結婚は1956年、裁判官の三淵乾太郎さんとの再婚でした。
最初の夫と死別後、1947年に裁判官採用願いを司法省に提出してからの嘉子さんは、初の女性判事、家庭裁判所長の重責を歴任します。
苦労をしながらもバイタリティあふれる女性だったことでしょう。
まとめ
今回は朝ドラ「虎に翼」の猪爪寅子のモデル、三淵嘉子(みぶち よしこ)さんについて調べてみました。
ドラマの中でヒロイン寅子は、家族や仲間の支えを受け、どんな苦難にも負けず力強く進んでいきます。
モデルとなった三淵嘉子さんに思いをはせながら、ドラマの展開を楽しんでいきましょう。
コメント